!!好きな人すみません、超絶けなしています。でもね、このストーリー、絶対映画化無理です、無謀です!!
「おいおい、ちょっとまて、今の僕は何やってんだ?」
「このまま続けていいのか?」
人はあきらめることも必要です。たとえ自分のキャリアを損なおうとも、理性がそれを止めるはずです。(そうならないのが、悪の法則)
猫映画として、気楽に見に行ったら、開いた口が塞がらなかった。逆に貴重な体験をしたかもしれない。
明日死ぬ、という男の前に悪魔が現れ(笑)、世の中で要らないもの(≒主人公にとって大事なもの)を1つ消し去ると(笑)、寿命が1日延びる(笑)という。1つ消し去るごとに彼から恋人、友人、そして・・・(笑いが止まらない)
よく、こんな超絶悶絶設定、よくぞ映画にできたものだなあ。感心しています。
まず、その最初に消し去るものが電話だという。
うおおおー、すげーバカだ!
電話をこの世から消した時点で、この世は間違いなく存在しない。百歩譲って、電話にとって代わるものは文具店(これもバカだなあ)、というのを許すとしよう。
だが、映画は、電話にとってかわった世界をちゃんと見せない。
本当は見せないわけにはいかないから、その時点で映画化なんて不可能なんてことは企画の段階でわかるはずなんだが。
本作、ほんとにキャプラやフィンチャーですら逃げ出す企画。
(なんだか、だんだんほめてきているな)
次にこの世から消えるのが映画である。電話のない世界に映画が存在していることにすでに笑いが止まらないのだが、「映画」が消える、という発想がもはや「悪魔」の考えることではない。
「映画」より「電話」のほうが重い軽いは、単純に「音声」「映像」「元カノ」「トモダチ」ぐらいの発想しかなくて、「時計」においては、もはやそれを消すことすら意味のない行為。
はい、ここでようやく猫を消すか、消さないか、になる。「電話」「映画」「時計」ときてもはや「猫」でガタガタ言ってる場合じゃないんだけどね。
がっつりネタバレすると、最終的には父親に会いに行く話。
つまりは悪魔は妄想、大事なものを消すのも妄想。この時点で主人公の病気が本物なのか、妄想なのか、ちょっとわかりにくいが、ラストの父親の、赤ん坊の主人公へのセリフからすると、病気は本物なのだろう。
母の死を乗り越え、父親を許し、って、ええっ?、そんな内容でした?っいうほど、序盤中盤が活きてこない。
あなたは「いらないもの(主人公には大事なもの)を1つだけ消すと1日だけ延命できる」という悪魔との契約を結びますか。
はい、100%契約しません。
この映画を見たら、いや見なくても、100人が100人ともそう答えるだろう。これを想像できずして、こんな映画作るなんて、無謀だ。
猫映画としても、残念です。。。
劇場公開日 2016年5月14日
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