「エクソシスト 信じる者」 ネタバレ お父さんは怖いよ。

無印公開から50周年。企画ありき、のホラーです。

 

懐かしいところで、2006年6月6日の「オーメン」リメイクもお祭り企画だったので、あれも目くじら立てずに微笑ましく楽しめました、というのはさすがに嘘ですが、本作、意外と言っては失礼だが、面白かったです。

「エクソシスト 信じる者」




無印の「新たな」続編、ということですが、これまでの続編がダメだったかというとそんなことは決してないのです。

 

謎だらけを映像と音楽と雰囲気とハッタリで押し通した「1」。善と悪の戦い、というのは割とはっきりしていて、ドキンちゃん(フリードキン監督)は違うかもしれないが、少なくとも「善」=「キリスト教」の勝利、という図式は見て取れます。

 

その謎、「善」とは何か、なぜ、リーガンなのか、について、ムチムチのブレア嬢をアイドル化して、「選ばれしもの」と理由付けを行い、ブアマン監督の揺るがない土着嗜好のスタイルと、モリコーネの変態&ヘンチクリンなシンセの劇伴がB級感をなぜか漂わせ、これはこれで面白かった。大好きな続編。ただメリンとパズズの馴れ初めは要らないっちゃいらない謎とき。

 

「1」の「善」の勝利、「2」のその理由付けが、カチンときたのか、「3」は原作者ブラッティ氏の変態な作家性がさく裂、当時のサイコサスペンス風の、ネタバレするのも申し訳ないが、神父はことごとく餌食となり、刑事は「悪」を認め、銃=暴力、で旧友の魂を開放するという、原作者のくせに「1」さえひっくり返す珍傑作。(まあ、「1」でもカラス神父がボクサーのくせに、リーガンボコって、自分に憑依、というトンデモ決着でしたが)

「ビギニング」は今だと先に「ドミニオン」を見てたほうがより楽しめますが、「ドミニオン」をお蔵入りさせる、全編撮り直しの「反動のエンターテインメント」が潔い。この時は、レニー・ハーリン復活!と勝手に思った。そしてそれは思い違いだとすぐに気づいた。

「ドミニオン」は、ポール・シュレイダーファン以外はNG。

 

そして本作。

 

異人種の集まりで悪魔祓い、とあたかも「人類みな力を合わせて」みたいな、もうええやろ、と言いたくなるような人間側の設定だが、今回の特異点は、自身を信ずる(Believer)、無神論者が勝利するところだろう。もう一つの家族は信仰厚い家族だが、子供の命の選択の提案である「悪の言葉」を信じて裏目ってしまう。本作の憑りつかれた少女が2人なのは、そこが描きたかったのだろう。

さらに神父に至っては、自身を信じ、信仰を貫き通し、悩んで、思い返し、決心し、(自身を信じて)ここぞのタイミングで登場したのに、いわゆる「エクソシスト」の謎であった首回転の真実、種明かしの餌に使われてしまう。

その点は「3」に負けず劣らず、教会からのクレーム案件。

また、正当な続編の言い訳に使われているマクニールの登場だが、「1」を見る限りは、そんな人ではなかったでしょ?とは思うのだが、あ、これはテレビ版との関係もあるのか。ただし、ほとんど必要のない存在でした。

劇中、頻繁に画面の奥にドアや部屋があり、廊下、通路で登場人物の会話が多く、「向こう側」への意識を迫られるが、「1」や「3」(特に「3」)のような効果はあまりなかったか。

 

おっと、本作のいいところを忘れてました。

僕は娘の父親なので、娘が女友達と森に行った、帰ってこなかった、靴が落ちていた、3日間見つからず、納屋で見つかった、処女膜検査をした、とか、全部恐ろしいのである。「1」でも言われていたように、これは思春期を迎えた女の子の親への反発、反抗をメタ的に描いたとも言え、むしろその点は「1」よりはっきりうかがい知れる。

今回の主人公の娘が発する言葉は実は悪魔が話す内容ではなく、娘自身の心の叫びでもあった。

まあ、娘の親ならでは、がこの映画の怖さではあります。

追記1

しかし、このままだとどうしてこの2人が、という疑問がやっぱり残る。悪魔様が、これらのショボい家族の女の子に憑りつかなくて、ええとこのお子様を狙えよ、と。ダミアンの親はずいぶん用意周到だった。

3部作ということで、なんだが次はブアマンの「2」寄りになりそうか。それとも救われなかった家族側の視点になるのか。楽しみにしてもいいくらい、今作は楽しめた。

 

ということで、ランキング

「1」>「2」≧「3」>>「ビリ」>「ビギ」>>・・>>「ドミ」

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