「ザ・ライト エクソシストの真実」 さあ、エクソシストになろう!

悪魔祓いは自分との闘い

 いきなり結論ですが、悪魔払いの映画のテーマは自分との戦いです。

 本作は単純にエクソシスト誕生物語なのだが、「エクソシスト・ビギニング」「エンド・オブ・デイズ」より主人公の苦悩が薄い。

 主人公は最初、生意気にホプキンス氏に意見をいうあたりは、主人公がもっと科学的な寄りの人間のほうが面白いのだが、実話だそうなので、ここは縛られちゃったようですが、それでも「おくりびと」だった彼の死生観がもっと出ていれば、もっと面白くなったと思います。

 その生意気な主人公が知る序盤のホプキンス氏の「一流のエクソシスト像」という名の詐欺師っぷりがなかなか楽しい。
 

「エクソシスト」あるある

 さて、悪魔つきモノで定番なのは、知らない言語を話す、知るはずのないことを話す、天災などの超常現象。これも夢落ちや妄想、錯覚、たまたま、としていくらでも片付く。終盤の同行者の女性記者も自分の罪に苛まされている。

 冒頭言ったように、エクソシストものの見せ場となる悪魔とのやり取りは、いつだって自分との対峙である。鏡に向かって喧嘩しているようなもの。
 

本作の落としどころは「悪魔を信じるから神を信じる」。

 これに至るまで、定番のあんまり怖くないオカルト現象に時間を割いたため、その説得性が弱すぎる。だけど、言っていることは他のエクソシスト誕生物語よりかは、なんでも神頼みしか能がない僕にはしっくりくる。

 自分の内なる悪魔の存在を認め、内なる神を模索する。進みたかった道ではない。だがそこにいるのは確かに自分であり、誰のせいでもない。運命と言う言葉は嫌いだが、その道を歩いた軌跡がある限り、その結果が運命なんだろう。

 「こうなるはずではなかった」という「悪魔」を抱えつつ、「今日、明日もがんばっていこう」という神の御心を自分の中に一生懸命探す日々は続く。

 

劇場公開日2011年4月9日

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