「パーティで女の子に話しかけるには」
劇場公開日 2017年12月1日
舞台は1977年。
この時代設定でピンとくるのは、英国において、パンクが全盛期になるも、セックス・ピストルズの解散をもって、実はパンクは終焉に向かう時代。
エル・ファニングはサイケデリックな「アメリカ人」と思われている異星人だが、その年は「SF」、「アメリカ文化のイギリスへの侵略」を象徴する「スター・ウォーズ」の公開の年でもある。
異星人だが、島国イギリス人にとっては、異質なものは、「アメリカ人」と片付ける。だが、そのルックスは実はかつて自分たちが通ってきた「サイケ」の姿であり、パンクが最も嫌った「クラシック」をベースに「テクニックこそ至高」とした「プログレッシブ・ロック」の姿である。
ざっくり言うと、「パンク」と「それ以外」という構図。エル・ファニングは本作を「ロミオとジュリエット」と例えた。なるほど。
「パンク・ロック」と「サイケ」「プログレ」という過去の文化と「SF」という「アメリカ文化のイギリスへの侵略」という、コロニー(生態)間の、「ボーイ・ミーツ・ガール」。言ってみれば、グラムロックの旗手デヴィッド・ボウイが「サイケ」、「スペースロック」から、「パンク」でなく、「ソウル」に走ったため、決して相容れることのなかった音楽性の象徴である主人公二人が、双方のコロニーの反対を振り切って愛を語るお話である。
この主人公二人が、ともに意気投合し、結ばれる。しかし、訣別を迎える。旧生態としての異星人はまるで投身自殺のように、ビルから全員で飛び降り、その音楽性が時代から滅びゆくかのように去っていく。エル・ファニングもかぐや姫のごとく、去っていく。
そして舞台は1992年。
主人公の前に、二人の子供という集団が現われる。二人の子供とは、「パンク」と「サイケ」「プログレ」「アメリカ」の申し子、ということになる。
デヴィッド・ボウイがなしえなかったこと。これは何を意味するだろうか。僕はあの90年代最重要バンドとしてあげられるあのバンドを思い出した。
「パンク」の自己主張性を「アメリカ」の「グランジ」に乗っけたかのようなギターサウンドでデビューを果たしたあのバンド。そしてその後「パンク」「グランジ」の枠を超え、「プログレ」「エレクトリック・サイケ」と幅広い音楽性を繰り広げたあのバンド。
そのバンドの名は、レディオヘッド。本作は1992年にデビューした、レディオヘッド誕生譚なのだ。
パーティで女の子に話しかけるには【Blu-ray】 [ エル・ファニング ] 価格:1,650円 |
コメント