!!ネタバレ控えめですが、読む前に、ぜひぜひ「ロッキー3、4」(いや、ほんとは全シリーズ)を観てください!!
ポール・ダノ
イドリス・エルバ
マーク・ライランス
マイケル・シャノン
シルヴェスター・スタローン
もちろん、他の作品を観たわけでもないし、まして他の役者を蔑むつもりもない。だが、世間が、そして僕が、信じている。(※記事作成時、劇場公開中)
本作は、自分の抱える「大きなモノ」に立ち向かう若者を手助けをしながらも、その姿に触発され、再度自分との戦いに奮い立つかつての伝説の男であり、かつ「隣近所にいるレストラン「エイドリアンズ」の気のいい、ただの店長」、その2人の男の物語だ。
本作のロッキーの初登場シーンが印象深い。なにげなく普通に、営業終了のホールにすっと顔を出す。そう、何気ないことがとても印象深いのだ。あたかも、アドニスが父の勇姿、その本当の姿を初めて知ったときにおぼえた、自分の中にある大きな心のように。
アドニスは父を否定しているわけでもなく、血は争えないことを良く知っている。そしてロッキーは、アポロを良く知っている。それ故、ロッキーは、血を受け入れ、超えることが、アドニスの最も険しい己との戦いということを、「ボクシング」を通じて教えるのだ。
自分を愛してくれている人。生まれる前に死んでしまったため、自分を愛することが出来なった父親。彼らに、血を敬い、己を鍛え上げることで、愛を示す。それこそが、アドニスの戦いなのだ。
それを分かっているロッキーは技術を教えるのではない、己を超えることを教える。
別にバカにしているわけではないですが、「ロッキー3」でアポロは、虎の目だ、とかしか言わない。だが、あの映画では、それでよかったのだ。本作についても、ロッキーはロッキーなりの、「アポロからの、己を超えること(Eye of the Tiger)」の継承。
僕たちはいつでも、いつになってもくじける。そんなとき、ロッキーに居てほしい。でもロッキーはいつもそばにいる。僕たちが望めば。そして、ロッキーもまた、くじける。そんなとき、まぶしいまでの生命の輝きを感じたい。そんなとき、僕たちは輝くことが出来るか?
本作で、ロッキーとアドニス、そしてアポロは、本当の「血を超えた」家族となる。「ロッキー4」にて、アポロを救えなかったなどという、「贖罪」という個人の話ではない。
これの続編にそのような展開もあります!
本作は「ロッキー7」でもなければ、「ロッキー新章」でもない。もはやロッキーの物語ではない。伝説の男ではない、僕たち普通の若者の、普通の年老いた男たちの「物語」となった。
監督ライアン・クーグラーは、この企画をスタローンに、とっくにロッキーを終わらせたスタローンに提案したという。スタローンはこの若き才能に彼の成長のため、「ロッキー」という名の「財産」を与えた。
クーグラーは、それにこたえるため、実験的な画づくりや情熱的な演出を繰り広げる。
主演のマイケル・B・ジョーダンは、1年間のトレーニングを行い、あのファイトシーンを完成させた。1試合は2ラウンド丸々長回し。もう1試合は入場までの長回し。すさまじいまでの興奮を覚える。そしてそばには、あの男がいる。
これこそまさに、本作が言わんとしていることですね。
これほどまでに、作り手の思いが投影され、具現化された作品はそうお目にかかることはないです。
未だに「ロッキー4」を黒歴史と見る向きがあるが、「ロッキー4」「ランボー怒りの脱出」あってこその、スタローンの大いなる「愛すべき」歴史だ。
これの続編がまさに「愛すべき」作品となってます!
劇場公開日 2015年12月23日
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