週刊少年ジャンプは中学生までよく読んでました。「シェイプアップ乱」がお気にいりだった。ただし乱ちゃんの等身が変わるようになって読まなくなった。
「バクマン。」
故に?原作未読。
佐藤健くんと桐谷健太くんが出ている、というわけでもないが、まず想像したのは「BECK」。
演奏する必要もないし、誰もが唸らされる作品(曲、声)を聴かせる必要もない。なるほど、才能映画で、マンガ、というのはなかなか表現に工夫の幅はありそうだ。
(「才能映画」とは僕の造語。天才が出たり、世界1位になったり、誰もが納得する究極の音楽や絵が登場する映画)
だけどやっぱり他の才能映画と同じく、素直に彼らの漫画を見せない、説明しないので、当然、彼らの書いた作品がどういう作品なのか、やっぱりよくわからず、なんだかごまかされているなあ、という気もしないでもない。
その象徴として、ペンを剣に見立てての、ライバルとの攻防シーンがある。だが、このやり方だと、神木くんの画を書かない「原作者」のキャラがペラペラになってしまうんだよねえ。
彼らの書いているマンガが連載して、人気投票上位、とか言われてもピンと来ないが、まあ、そのへんは、徳弘正也、じゃなくって小畑健という絵師の力で、画面的に引き込まれるのは確かだ。さすが「DEATH NOTE」「ヒカルの碁」のジャンプの一時代を作った絵師である。
他紙ならともかく、ことジャンプにおいては、絵についてはこれ以上の説得力はないでしょう。
だが、その分、絵以外の漫画の醍醐味をバッサリ切り捨てる。上手くいけば、映画からスピンオフで、という商売っ気もあるとは思いますが、彼らの漫画読んでみたい、という需要を作らない、という手法をとったわけだ。
また、青春映画、努力友情勝利映画、としてみるに、ちょっと頭をかしげる部分がある。
努力の表現。
他の漫画家たちとの友情を描くため、アシスタントを排除した設定はよくわかる。だが、そのために果たして入院させる必要があったか。
漫画家を目指すこと、連載すること、継続することの厳しさ。入院して休載するのと、自分の意思で書くことでは、それらは関係ない。
「せっかくのチャンス、死んでもいいので・・・」
はさすがに努力の土俵の話ではない。
しかも、これだと、いやでも叔父さんとの対比になってしまうが、作り手はそれを望んでいないでしょう?
上に書いたのとちょっとかぶるけど、コンビの在り方ももうちょっと面白くできたのではないかと思う。同じところで、おなじタイミングで、原作者と作画者が悩んでいるのも果たしてどうか?
これは終盤もそうなんだけど、ネームが固まらない、絵が悪くなる、作品の質が落ちる、は同一線上ではないんだよね。(究極的には相互作用ってあるかもしれないけど)
巻頭カラーで成功して、たった1回だけトップをとった。それはよい。だが、そのあと、うまくいかず急降下って何がうまくいかなかったの?
ひと夏の経験じゃないんだから、そこは描かないと。
いろいろ言いましたけど、それでも、このあたりのデキが、青春映画としての「身軽さ、軽さ、軽薄さ」として優秀だと思いま す。
劇場公開日 2015年10月3日
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