「ボヘミアン・ラプソディ」 元クイーンファンの僕は本作を観ながら、文句を言いつつも歌ってしまったよ。

聴かなくなったのはいつからだろうか。

僕のクイーンの聞き始めは「ウェインズ・ワールド」(’92)のヘッドバンギングから始まっているので、大学生のころから、ということになるのですが、ジョジョよりちょっと先に「キラー・クイーン」にハマり、青くっさいガキゆえ「手をとりあって」にすっかり毒され、プログレにハマっている最中に、「クイーンII」にハマり、「ショー・マスト・ゴー・オン」に泣かされ、「輝ける日々」に枯れるほど泣き、「メイド・イン・ヘヴン」で我に返って(笑)、からの十数年。

僕の今のプレイリストには、「セイル・アウェイ・スイート・シスター」しか残っていない、という。

あ、そうか、あとはレディ・ガガを聞き始めて、「レディオ・ガガ」をちょっと聴いたぐらいでしょうか。

そんなクイーンの映画化の企画が立ち上がったのを聞いた時は全く興味がなかった。だが監督は「あの」ブライアン・シンガーだという。僕に「そんな趣味」はないが、これは行かなくては。

カミさんに、テイラー・スウィフトのライブ鑑賞をNGにされたので、これはお願いしやすい。
というか、テイラーの代わりになるのか?と思いつつも、OKをもらったので、初日の川崎LIVE-ZOUNDへ。

 

「ボヘミアン・ラプソディ」

本作は、クイーンの実は「落ちていく直前の最期の一花咲かせたイベント」にあたるライブ・エイドをラストに持ってきているので、「ベテラン」となって「商業おっさんバンド」としての「カインド・オブ・マジック」以降とフレディの肉体的衰退とその最後までは描かれていないが、これで正解だと思う。

「元」クイーンファンですが、感傷的なレビューはせずに語るならば、フレディが天才、というだけでなく、ルックスにコンプレックスを持っていたり、止められない性癖、一人では眠れない小さな男として描かれていることに、作り手のこだわりを感じました。

ゲイに目覚めていくエピソードやその描写など、「今の時代だからこそ」、描ける、受け入れられるものであり、商業的にも、ただの伝記映画にしない、時流に乗ったものという印象が強い。

だが、映画として、面白くなっているかというと、それはちょっと違う。

本作、基本的にはフレディの「栄光と影」の話だ。同時にベストアルバム的な選曲とその誕生エピソードを展開しながら進むため、ファンは楽しいがフレディの波乱万丈な人生描写とうまくリンクしていない。

もちろん、「ボヘミアン・ラプソディ」誕生秘話は前半のハイライトであるには違いないが、映画としての盛り上がりがライブ・エイドまで全くないのはキツイ。

ラブストーリーとしても、史実に近いルックスの相手ゆえ、BL映画として楽しむことも難しい。「伝記映画」と「映画」のバランス、「虚構」と「真実」の「演出」がどうにも振り切れていないというか、詰めが甘い。

そして最大の欠点は、ライブ・エイドのシーン。

 

なぜライブ・エイドのシーンが欠点なのか?

妙ちくりんなカメラワークや粗いCGは、まあ、置いておこう。それよりも、いちいち会場外のバーやフレディの実家を映したり、とちょいちょい、ステージの外にカメラが飛び出してしまう点だ。

シンザン
シンザン

こっちはなあ、一緒に歌ってんだよ!!

みるみる記憶がよみがえって、全曲歌詞まで思い出してちゃってるんだよ!!それを邪魔するとは、この映画にこれ以上の楽しみ方がありますか??

ここがハイライトですうみたいな作りにしているのに、20分間ずーっとステージにくぎ付けにしないでどうするよ??

いや確かに「ハンマー・トゥ・フォール」をフルに聴くのは嫌です。だからと言って、チャリティ募金がいくらになりました、電話が引っ切り無しになってます、とかどうでもいい。

ライブシーンの迫力を観れば、そんなことは描かなくても分かる。

皆は泣いたというが、僕は違う意味で泣いたよ。

監督のブライアン・シンガー降板については後で知ったが、ブライアン・シンガー自身にこだわりはないが、彼のそのケの「演出」が、フレディーの描写についてどこまで迫れるか、には興味はあった。

どの部分でもめたのか知らないが「ゲイ」映画としては、今の時代的にはまあまあ。

だが映画としての出来はイマイチ。

結局「クイーンの功績のみ」で映画が成り立っただけ、という結果。

 

フレディ役

フレディ役についてだが、似てはいないし、初期のルックスは悪意があるんじゃね?と思わせるほどブサイクに顔を作っている。それ以上に線が細い。これならROLLYのほうがいんじゃね、とも思った。

だが、ちっぽけな、そして、後悔先に立たず、な時間のない覚悟を決めた男が、ウェンブリーでの大会場で主催者にして最高のライブアクトと言わしめたあのシーンを十分に再現していたと思うし、だからこそこっちも一緒に歌うことが出来た。

先も述べたが、クイーンの名曲誕生秘話を楽しみながら、歌い、ライブ・エイドの20分で大合唱するのがこの映画の楽しみ方なので、遠慮なく歌えばいい。

テイラーの代わりには、まあ、なったかな。

追記

最後に「ドント・ストップ・ミー・ナウ」と「ショー・マスト・ゴー・オン」を使ったりと「ベストアルバム」的な役割は抜かりないし、「アイム・イン・ラブ・ウィズ・マイ・カー」の自虐ネタは楽しいだが、やはり「クイーンII」の扱いは低いなあ。

 

「ボヘミアン・ラプソディ」がフルに聴かせてくれない点について

劇中なぜフルに聴かせてくれないのか、という文句をちょいちょい見かける。だがそれは、曲誕生のエピソードでしっかり、オーバーダブの繰り返しで曲が出来た、という説明をしっかりしてる。

ライブ・エイドのほうで実際全部やってないので、聞かせないのは当たり前だが、「ボヘミアン・ラプソディ」をライブで行ったときの、ステージ演出も当時はオペラパートはかなりキッツイものだったことは残されたライブ映像も観ても分かる。

また曲自体が「オペラ」ゆえ、「ミュージカル映画」にしようとしていないのだから、劇伴にもなりにくい。この映画が「聴かせてくれない」のは、「聴かせられない」からだ。今の世間の認識と同様の「ライブバンド」としての伝説を謳った映画なので、「クイーンII」の扱いが低いのも、当然と言えば当然。

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