「ブリングリング」 SELFIEな時代ならではの犯罪。日本の若者はショーケースに入っちゃった。

「ブリングリング」

 

自撮り

 SELFIEってなんで言葉、というかそういう行為、なんで流行ったんだろう、てちょっと考えてみます。

 FACEBOOKに自分の投稿をあげ、注目あびたい、自分をもっともきれいに、かっこよく、しかも手軽に効率的に撮ろうと思えば、そりゃ自撮るのが一番です。

 自分をかっこよく、きれいに、クールに見せるには、最高のライティング、最高のアングル、そしてそれを飾るアイテム。

 SNSに自分の行動をアップするのは自分がイケてるアピール、または自虐的な行為、あるいは、ビジネスライクな、思惑があってのこと。

 自分がどこどこのパーティに行く、なんてスッゲー言いたいけれど、それは逆に家にはいません、とアピールするようなもの。

 ネットの普及が金のない女の子にブランド品の価値を教え込み、ブランドの揃え方、コーディネイトまで、実際に手に取らなくても可能な時代。

 自分をネットで晒す、きれいな自分を「投稿すること自体」に満足するユーザー、何かクールな情報を提供しないと、周りに相手にされなくなるという危機感。
 

なぜソフィア・コッポラはこの題材を扱ったのか?

 現在の誰もが抱えている便利さと平行に抱えているジレンマを、ありのまま、ごくごく普通の女の子たちが、その欲求にまかせて行動たら、不法侵入して、窃盗をしてしまっていた、という映画。

 加害者はDQNなんかじゃなく、ごくごく身近にいる若者がありのままに行動を起こしたら、そうなったという。

 だからこそソフィアはこの事件を映画にしたのだろう。

 自分をかっこよく、キレイに、美しく、クールに、FACEBOOKにアップしたい、そりゃみんな一緒だ。ブランド品の知識が増えれば、さらに欲求は増す。そりゃみんな一緒だ。

 ソフィアは、批判や皮肉で描いているのではなく、「イケてるごくごく普通の女の子たちが、ありのままに行動した」としか描いていない。むしろソフィアは彼女たちのその、ありのままの部分をしっかり描いており、彼女らの味方、ひょっとしたら同情すらしているのではないだろうか。
 

本作の楽しみ方とは?

 ストーリーを追っかける映画ではなく、彼女らが物色する姿、ブランド品を評定している姿、カニエ・ウェストをはじめとするラップやガールズポップを口ずさみながら楽しそうにドライブする、そういうイケてる彼女らが、ホントに言葉通り「ショッピング」をする姿を見て、うーん、日本の若者はそれじゃなくって、ショーケースに入っちゃったんだよなあ、とアメリカと日本の若者の実態を確認する映画としてみれば、何とも言えない気持ちになる。

 でもこれはそういう映画。面白い、というか興味深く見させてもらいました。

劇場公開日2013年12月14日

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