本作の日本公開時1984年と言えば、僕は小学生だ。よって先日レビューした「ディア・ハンター」同様、初見はVHSで、高校生の時だ。これも当時長いモノだったが、のちに「完全版」なるものを観たりと、大好きな作品だが、今回は「ディレクターズカット」という4時間11分の代物だという。
あの至福の時間を劇場で味わえるなんて。さらに22分の追加シーンがあるなんて。朝から眠いとかあるわけない。
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今回は追加シーンについて、話をしようと思う。カットされたシーンには、極めて重要なものもある。
1)墓場管理人ルイーズ・フレッチャーの登場シーン
2)追跡車両の爆破シーン
3)デボラの舞台のシーン
4)老婆キャロルとの再会
これらは特に無くても問題はなかったと思える。特に1)2)4)は、「妄想」ラインが大きく薄れてしまうため、削って正解。
5)デボラとのデートでの、タクシーの運転手とのやり取り
ヌードルスがユダヤ人の恥のように言われるのだが、唐突すぎて不要なシーン。彼がそもそも一匹狼であるのは、「イタリア系」でないのが大きい理由の一つであり、また彼の性格が自分勝手で直情的なクソであることは劇中、十分描かれているので、必要ない。
6)デトロイトでの「泳ぎ」のシーン
これはとっても重要で、車ごと突っ込んだ一行はヌードルスがおぼれたのかと心配する。ここではヌードルスの姿は見せないのだが、ここでの「ゴミ清掃」がラストとリンクする。
ベイリー(マックス)はゴミ清掃車の中に消えたのか?いやそうではなく、初めからいなかったのだ。
これはヌードルスとマックスはお互いに「親友」のなかで「からかいながら、だましだまされ」を繰り返してきた仲だということ。
このシーンが削られたことで、ゴミ清掃車、ラストの「笑み」の解釈がこれまで難しく議論されてきたといえる、最重要のカットシーン。
7)ヌードルスとイヴとの出会い
これまでのヴァージョンでは、イヴの存在がキャロルより軽く見えてたのが、どうも納得いかなかったのだが、今回の追加でその存在が大きくなる。またヌードルスがずーっとデボラを引きずっていたことがより分かりやすくなった。
心情的には削ってほしくなかったシーンだが、ヌードルスの「妄想」の中では、序盤であっさり殺されるという軽い存在なので、確かに無くても良かったのかもしれない。
8)ベイリーとジミーの会話
ベイリーすなわちマックスとジミーの立場が逆転したことがはっきりわかり、ベイリーに選択肢がないことがより分かる。これは「現実」ラインを厚くするエピソードであり、マックスのやり方が60年代では通用しなくなっている、という「ギャング」の衰退を意味する。
総じて、これらのシーンのカットの理由は、上映時間の関係よりも、と作り手の「意図的な混乱」というのがよりはっきりした。
この映画自体の面白さはいうに及ばず追加シーンも不要なものとはいえ、とても楽しく観ることが出来た。
それでも、マックスが連邦銀行に執着した理由がないんだよね。
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