「M:I-2」 ミッション:インポッシブルシリーズ最強論

「M:I-2」の評価が低いので、今から僕がこってり、逆襲します。

「M:I」シリーズとは

 「M:I」シリーズとは、トム・クルーズの「自身のスパイ・アクションの映画ファンとしての欲求」を満たす映画だと現在最新作の「フォール・アウト」まで観てもそう思います。

 と同時に、トムが我々ファンが「M:I」シリーズに望んでいることを理解しながら(しようとしながら)続けてきたシリーズでもあります。

 それは、まず彼自身がこんなシチュエーション、こんなシーンを撮りたい、という欲求がその作風を占めている。
僕たちファンはそのことを、「無意識で」理解しているからこそ、この「緊張感のないスパイ」映画を楽しんでいるのだ。

 1作目のデ・パルマ監督にしても、その「ミッドナイトクロス」「スネークアイ」などのサスペンス風な絵づくりが特徴的であるが、中身は見せ場の繋ぎ合わせであり、それはあくまで断片的な緊張感にとどまっている。

 「あのシーンはイイヨネ、でもどんな話だったっけ」

 1作目において、これを意図的とするか、結果的にそうなったのかは、とりあえず置いていて、この1作目のスタンスは2作目以降、ずーっと継続していくことになる。

 そもそも、「M:I」シリーズのストーリーを全シリーズ語ることが出来る人がいるだろうか?というよりそんなことは必要だろうか、とまで言い切ってしまおう。

 そんなシリーズではないのだ。

 

 

「M:I-2」

 

 

オープニング

 イーサンに化けた悪役ショーン(つまりトム)が自分のニヤケ顔をさんざん披露し、それを「いやいや、キモイし」と自分でしゃべらせる自己パロディの開眼からはじまり、あの「レインマン」とハンス・ジマー縁りの「アイコアイコ」の流れる中、あの驚愕のロック・クライミングに移り、サングラスによる指令から、バンドサウンドにアレンジしたテーマ曲の流れるアバンタイトル。

 こんな素晴らしいオープニングはないね。
 

トムの髪型

今回のイーサンはロングである。

 トムのショートは「真面目な性格」もしくは「青い若者」とするならば、ロングは「スケコマシ」「ちゃらい」「ニヤケますよ」というわかりやすいサイン。以後、加齢もあり、この後の「バニラ・スカイ」での「脱スケコマシ、脱イケメン宣言」にて、ロングとは「一旦」お別れすることになる。

 故に観客は、今回は「ああ、トムがお姉ちゃんといちゃいちゃする映画なのだな」と観ればいいのです。

 

シンザン
シンザン

 以後、ベンジーといちゃいちゃするけどね

 

 

自虐ギャグ

 さらに、今回は敵役を化けることで、いやいやニヤケ顔をしなければいけない、自虐ギャグを自身で2回も繰り広げるのである。その敵だが、いかにも「トム・クルーズ」嫌いだ、って思ってそうな顔が、イーサンの後塵を拝してきた男の顔になっていて、とても良い。
 

そしてナルシシズム全開のアクション!!

 今回の彼女タンディ・ニュートンは、とってもかわいい。この子と「映画史上最強に緊張感のない、最強にカワイイ」カーチェイスを繰り広げる。

 ここから、ジョン・ウーのナルシシズム満載の演出とトムのナルシシズム全開のシーンがこれでもか、と続く。

 アクションについても、破格のロック・クライミングから、ここで定番と化した「みんなが見たい宙吊り」、銃撃戦、映画史上最も有名となったバイクアクション、そしてトムの鍛えられた肉体と「キック、足技」を主体とした格闘シーン。

 顔の切りキズは格闘アクションでは、必須です。さすが心得ています。ここでの彼の自身で演じるアクションへの決意が以後のシリーズの作風の根幹を担っている。

 それどころか、その表現はスターならではのナルシシズム表現の究極系。トムのスター性とジョン・ウーのケレンミたっぷりなアクション演出でなければ決して生まれなかったものだ。
 

本物のアクションができるスター俳優の誕生

 この作品こそ、単なるスターの域にとどまらない、「アクションのできるスター俳優トム・クルーズ」の高らかなる宣言。

そう、トム・クルーズこそ、ニコラス・ケイジが完遂できなかった、今の「スターがアクションをする」という立役者。

 

シンザン
シンザン

ニコラス・ケイジなあ。

故に「M:I-2」こそ、シリーズの枠を飛び越えた、ハリウッド映画史にとって最も重要なアクション映画の一つなのだと思う。

劇場公開日2000年7月8日

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