いきなりめんどくさい映像から映画は始まる。
これを「美しい」という表現をする人は最初からこの映画を見誤る。というか、どう見てもトリアーの偏屈的な趣味が全開していて美しいわけが無いのだが。
最近は出てくる女性だけでなく、映像までめんどくさくしてる。ああ、音楽もうるさい。
(※これはのちの作品からわかることですが、この時監督のトリアーさんは鬱だったそうです)
トリアーの映画の女性がめんどくさい存在に描かれるのは、いつもどおり。今回もかつてはかわいかったのに今気の毒にブサイクの代名詞とされている、ダンストが汚らしく演じてくれる。
かつてかわいかったけど劣化した女優を続けて使っているせいなのか、トリアーの映画とMUTEKIがダブるのはたぶん僕だけだ。
さてそもそのこの話、最初から頭がおかしい、というかあまりにも現実的でない。最初のリムジンのシーンでそれを教えてくれる。披露宴パーティのありさまも全ては不確実なのだ。
そこには作り手の意図、あるいは言い訳がましさを感じる。
ダンスト演じるジャスティンは、ひたすら世間に対して不誠実なふるまいを行う。
「ごめんなさい、でも私努力してるのよ」、という。
僕もかつてちょっと鬱になったことがあるので、どうしようもないつらさが態度に出て、他人に失礼を働くこと、家族に心配させることもあった。それはわかる。
でも一方それは世間で生きていく上では、やはりわかってほしいけど分かって貰えない。それが世間と言うものだ。
しかし惑星メランコリアが降ってきそう、となると俄然ジャスティンが冴えてくる。メランコリアが降ってくるか、こないか、近くにくるか、遠くに行くか、なんだか偏頭痛の周期みたいだが、実際鬱の周期のようにも描かれている。
しかし、こんなのどう考えても甘えである。
ひたすら前半で私こんなに奇行をしちゃうけど、それは鬱のせいなのよ、と一生懸命訴える。
一方後半で、なにガタガタ騒いでんのよ、子供が怖がってんでしょ。と諭す。
ひたすら自己弁護と自己肯定に終始する。最後は開き直って、世界滅亡レベルだと私、普通でしょ?とか本気で恐ろしい。
トリアーはきっとこう言うヤツなんだぜ?
「世界オワタ メシウマwww」
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