「この世界の片隅に」 アニメ耐性のついた僕が出会った幸せ

この世界の片隅に
劇場公開日 2016年11月12日

 

「傷物語II」「君の名は。」「聲の形」と当時アニメ映画にチャレンジする、という目標を掲げ、最初のとてつもないハードルをなんとかクリア?し、ここまで来た僕にとって、本作を鑑賞することに「アニメ映画」というハードルを全く気にせずに鑑賞しようと思ったことは自然な流れでした。

 

 

広島市、呉市が舞台の映画。

 

 

被ばく2世の僕にとって、「観なければいけない映画」でです。

 

 

 

「この世界の片隅に」

私的なことですが、主人公すずは、僕のおばあちゃんにあたる世代です。

 

祖母はまさしく「そのような生き方」をしてきたお人である。いきなり終盤の話をするが、広島で原爆を受け、孤児を受け入れ、孤児院を立てた立派なお人です。

 

だが、それ以上に、「かわいい」人だった。笑顔がくしゃっとなる。祖母と暮らした日々は中学生までだったが、「当時」の話は一切しなかった。今も資料館にその書記を残す祖母がなぜ「当時」の話をしなかったのか。

 

それはたぶん、「精一杯生きることに、周りがどうだろうと、やるべきことをする。子供たちにこれ以上悲しい思いをさせない」

 

本当に、ただそれだけだったのだと思う。

 

ただ日々を、その日を、その次の日を、その次の年を、「生きてきた」だけなのだろう。それは大変な日々だっただろう。だが、人は笑っていきていたい。

 

いや、「笑って生きなければいけない」。

 

祖母のように、すずのように、どんなに世界の片隅にいる人間でも、何があろうと、そうなのだ。

 

大事なものが奪われる。だが、今は生きている。ならば。

 

その「ならば。」をどう過ごしたか、この映画の登場人物のさまざまな「ならば。」を「さりげなく」描いていることに、僕はうれしく、悲しく、その「上手さ」に激しく感動しているのである。

 

この映画には、その日々がある。そしてそこからの、未来がある。

この映画は、戦時中、戦後と、主人公すずが日々を生きる姿を描くと同時に、彼女の中にある「相反する思い」が日々常に交錯し、それが「笑い」「怒り」「悲しみ」「諦観」を重ね、織り交ぜ、小さなエピソードをいくつも見せてくれる。

 

広島を故郷に、呉を田舎に持つ僕にとっては、特に瀬戸内海の景色、小丘の松の木、その土の質感に涙する。

 

周作の、すずへの気配りと照れの所作に微笑み、性の生々しさを感じる。

 

哲くんの、すずの「普通の姿」をみて、カットごとに、「はははは」と笑う姿に爆笑し、そして涙する。

 

ラッキーストライクの空き箱の入った残飯に、怒りと笑いがこみ上げる。

 

僕が一番ボロ泣きしたのは、ラストの橋の上で、バケモノのかごから出てきたアレ。最高に優しい新たなる出発。

 

そして、孤児を連れて帰るすずに涙する。その子供は、僕の母とほぼほぼ同い年にあたる。

 

僕はおばあちゃんのおかげで、ここにいるのです。

 

さいごに

エンドロールも泣かせる。「受け継ぐ」、とはこういうこと。

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